りんごと健康

1.プロロ−グ

 ギリシャ神話の物語の中に「ヘスペリスたちのりんご」というのがある1,2)

 「はるか西の土地に、目のとどくかぎり広がる大きな園があり、大木がよい香りをただよわせ、色のよい甘い果物があり、緑のゆりかごや不思議な茂みがあちこちにあり、すみきった泉が森の静けさを、かすかなせせらぎの音で楽しませている。天然自然の働きでつくりあげたこの比類のない豊かさのなかに、想像を絶するほどに輝くりんごがある。人よんでこれを黄金のりんごという。このすばらしい園はいったいどこにあるのか?それは誰も知らない」

 「かつてゼウスとヘラとのおごそかな結婚式のさいに、神々は贈り物をしたが、ガイアは黄金のりんごを花嫁の贈り物としたのである。このりんごを食べた者はだれでも不死と永遠の若さを授けられるのであった。ヘラは大地のはての遠い西の国にある神々の庭園にこれを植え付けた。そしてヘスペリスという娘たちがこの黄金のりんごの番をすることになったのである」

 エウリュテウス王がヘラクレスに命じた12の苦役の1つが、この黄金のりんごを取りに行くことであった。

 ヘラクレスがその黄金のりんごを手に入れ王にささげるまでの物語が、「星のギリシャ神話」の中で語られている3)。

 ヘラクレスは黄金のりんごをエウリュテウス王のところに持って行った。しかし王は、そのりんごを贈り物としてヘラクレスに与えた。

 ヘラクレスはりんごを女神アテネの祭壇にささげたが、女神はそのりんごを再びヘスペリスたちの園に送り返したというのである。

 このヘスペリスの娘たちに守られていたといわれる黄金のりんごの物語はりんごと健康を語るうえでまたとない資料である。

 地上の楽園ともエデンの園ともみなされるヘスペリスの園には、永遠の生命を与えてくれるりんごがなっている。

 ミュンヘンの美術館(Haus der Kunst)には、マレ−(Hans von Marees)のヘスペリスの娘たち(Die Hesperiden)の絵が展示されている。

 

 りんごの原産地は、ヨ−ロッパ中部より西アジアのコ−カサスにわたる中央アジアといわれ、約4000年前のものと推定される炭化したりんごがスイス湖棲人遺跡から発見されるなど、人類がりんごを栽培し始めたのはかなり古いことと考えられるが、有史以来としてはギリシャ時代の記録がある4)。

 りんごが数千年にわたって身近にあったことから、ヨ−ロッパではりんごが日常生活に深くかかわりのある果物であると考えられる。

 われわれに馴染みの深い英語の「apple」の語源について、北嶋廣敏は「林檎学」の中で次ぎのように述べている5)。

 「林檎はおそらく西方アリアン人種のみに知られていたであろう。この人種は、アブ(Ab)、アフ(Af)、アヴ(Av)、オブ(Ob)に語源をもつその一つの名を多分にもっていたであろう。なぜかというと、この語源はアリアン語に語源をもつ若干のヨ−ロッパ語の中に認められるからである。アングロ・サクソン語ではアッペル(apple)。西方アリアン人種は、ヨ−ロッパの北部で野生の又はすでに帰化していた林檎を見出した後も。彼らが林檎についてすでに知っていた名をそのままもち続けていたように見える(ドウ・カンドル)」

 「この引用を見てもわかるように、英語の(apple)はどうやらアングロ・サクソン語の(apple)からの変容だと見てよいようだ。またその意味は単に(林檎)を指すより、むしろ最初は(果実)を指しているのも注目に値するだろう。すなわち(apple)は林檎でありながら同時に(fruit)をも意味し、まさに果実界を代表する形で、(果実=林檎)の等式のもとに林檎は原始的に西欧で存在していたのである。

 「ところがラテン語派国では林檎は(pomo)を語源とし、フランス語では(pomme)である。これはラテン語の(pomum)からきたもので、もともとの意味は単に(果実)を意味するようになっている。ここでも(果実=林檎)の等号化がおこなわれているのであり、このことは逆に考えれば、いかに林檎が果実の王者たり得たのかの確たる証拠となるであろう。果実といえば林檎を指していた時期が、西欧には厳然として存在していて、林檎は桃や梨とは同等に並べることができないほどの高みに位置していたのである」

 りんごはバラ科ナシ属の果樹の落葉喬木で、学名は(Pyrus males)である。林檎梨というのであるが、この(malus)はまた同時に(悪)を意味するところに興味がある。

 「これがまた(林檎=悪)の等式が(果実=林檎)のそれと矛盾するところに、西欧では特に林檎が神話や伝説で、他の果物に比べて特異な象徴を自ら作りだす所以の一端があり、それが例の「創世記」の知恵の実が林檎と同一視される原因になる」

 「すなわちアダムとイヴのエデンの園における(禁断の木の実)の話であり、イウ゛のそそのかしで禁断の木の実を食べはじめたアダムは、それをまだ食べ終わらぬうちに天使の降臨に遭遇し、急いで飲み込もうとしたらそれが喉につかえ、その木の実が(喉仏)を表す英語の(apple of Adam)、フランス語で(pomme d’Adamo)となって、いちじくの葉で裸をおおったのになぜかアダムの林檎となったという物語になっている。

 そして、ヨ−ロッパに伝わるいくつかのりんごにちなんだ文章が紹介されている。

 りんごの俗信の章の中で、「その効用を説いた諺の中でベスト・ワンをあげれば、やはり(一日一個の林檎が医者を遠ざける)であろうか。他の諺と関連ある問題だが、私の手元に林檎の効用を書いた面白い本(櫛引博敬著)6)があり」と、りんごの生産地である青森県の人は高血圧や脳卒中が少ないという研究論文として、私が書いたところを孫引きしているが、「私は林檎がどんな栄養素をもっていて、それが身体のどの部分に効くかなどについてはほとんど興味がないが、ただこの報告にはまるで(一日一個の林檎が医者を遠ざける)実例とでも言えるものが読みとれるので参考までに挙げたにすぎない」と北嶋廣敏は書いている。

 ここに紹介されている研究論文とは、弘前大学医学部でわれわれが報告したものであるが、ここは文学者と自然科学者の違いを示すところであろう。私にとってはりんごと健康のかかわりが大事なのである。

 つまり、りんごと健康についての言い伝え、関係について科学的に具体的にどんな証拠があるかに重点をおきたいのだ。

 

 「絹の道は林檎の道」といわれているが7)、中央アジヤを原産地とするりんごが日本にも入ってきたのであろう。

 (林檎)という文字も禽(とり)が集まるという木、だから読みは(リンキン)で、中国からの渡来であった。

 「本朝食鑑」8)によると、平安時代初期の「倭名抄」に林檎(りうこう)を利宇古宇(りうこう)と訓(よ)み、近代(ちかごろ)は利牟古(りむこ)といっていたという。

 青森県の津軽地方でも昔から実の小さい「和りんご」が、りんご(こりんご−林檎)と呼ばれていた9)。そして明治8年に西洋から渡来した洋種のものを「おおりんご」、苹果(へいか)と呼ぶようになった10)。

 明治8年、内務省勧業寮から試植を依頼された配付苗の移植に始まり、明治維新の後、津軽藩士族たちの努力が今日の青森県のりんご産業を生んだものと考えられる。やがて和りんごは忘れられ、洋種の苹果の生産が増し、りんごと呼ばれるようになった10−13)。

 青森県に今あるりんごが広く栽培されるようになったのは明治になってからで、まだそれほど時間はたっていない。そのためか、青森県内で調べた健康とかかわりのある民間療法には、りんごは登場していなことを確かめたことがある14)。

 では漢方医学の中で、りんごはどのように取り扱われいたであろうか。

 漢方医学の古典の1つである「傷寒雑病論」15)の中に、りんごと健康についての記述がある。

 果実、野菜、穀物の禁忌及びその治療法第二十五には「林檎不可多食令人百脈弱」、−林檎はたくさん食べてはいけない。食べるとすべての脈が弱くなる−と記載されていた。これは脈の証(あかし)からみた経験の記載としては、極めて貴重なものと考えられるが、それはどのような観察結果からいわれたことなのであろうか。

 りんごを食べることが高血圧の予防につながることになるのではないかとのわれわれの研究が学会に発表されたとき、そのような研究は初めてであったためか、ニュ−スとして日本国内だけでなく世界中に流れた。

 そのことを伝えた外国の新聞記事には「古い諺に(an apple a day keeps the doctor away)があるが、日本のDr. Sasakiの研究によって、その医学的根拠をもった」と報道された。

 また、アメリカ・ワシントンにある国際りんご協会(International Apple Institute)から出ているパンフレット(an apple a day)16)には、われわれの研究が紹介されている。

 これより、なぜ、りんごを食べることが健康につながるのか、その科学的な根拠にはどんなものがあるかはっきり示そうと思う。

文献

1)ジュネ・エミ−ル/有田潤訳:ギリシャ神話物語.白水社,東京,1968.

2)シュヴア−ブ・グスタ−フ/角信雄訳:ギリシャ・ロ−マ神話.白水社,東京,1966.

3)シャ−デヴアルト・ヴオルフガング/河原忠彦訳:星のギリシャ神話.白水社,東京,1963.

4)青木二郎:序章.リンゴ栽培と気候/青木二郎編:新編リンゴの研究.pp.1−5,42−69,津軽書房,弘前,1975.

5)北嶋廣敏:林檎の社会学.林檎学大全V,アデイン書房,東京,1983.

6)櫛引博敬:林檎の本.経済界,東京,1978.

7)佐々木高雄:絹の道は林檎の道/下田敦子:りんご料理100選.pp.98−100,弘前調理師専門学校,1987.

8)島田勇雄:本朝食鑑2.平凡社,東京,1977.

9)木村守克:みちのく食物誌.路上社,弘前,1986.

10)青森県りんご百年記念事業会/波多江久吉,斉藤康司編:青森県りんご百年史.青森県りんご対策協議会,1977.

11)波多江久吉:リンゴ生産の発達−青森県の場合−.日本農業発達史第5巻・抜刷,中央公論社,東京,1984.

12)青森県りんご協会:青森県のりんご産業.1972.

13)東奥日報社:目でみる青森リンゴの100年.1974.

14)弘前大学医学部保健医学研究会:青森県における民間療法.36年活動報告書,1981.

15)漢張仲景:傷寒雑病論/小曽戸丈夫,沢田善利:熊本大学薬理学教室内漢方ゼミナ−ル,1971.

16)International Apple Institute:THE HEALTH AND NUTRITION STORY OF APPLES, Washington、D.C.USA,1985.

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