りんご覚書(その3)

 

 血圧の高い村と低い村の尿所見とくにNaとK排泄量、Na/K比との関係についての所見が得られたとき、これらの所見と血圧との関係について国際的にどのよに考えられているか、世界中の文献を読むことが必要であった。 

 国民栄養調査でも当時はまだ食塩は検討されていなかった。国民栄養調査の資料について食塩またKを推測してみて脳卒中死亡率の国内の地域差を検討し報告したこともあった(医学と生物学、44,1,昭34.)(総合医学,15,101,昭33.)。

 当時食塩について日本全体の地域差を検討できる唯一の資料は農民栄養調査の資料であった。基本的には経済調査資料ではあるが、前に検討した「ミソ」に関する資料もあり、これによって食品群別・栄養素別のわが国内における中年期脳卒中死亡率との関連として食塩との関連がかなり明白になった(日公衛誌,7,1137,昭35.)。

 栄養調査には色々な方法があるが、実際に摂取されているものは、尿中Na,K排泄量をみることが必要と考えられた。それも随時尿、あるいはクレアチニンとの関係でみるより、1日あるいは数日間の蓄尿による調査が必要と考えられた。しかし病院の入院患者でなく一般に生活している人々につぃて検討することは困難をきわめたが、可能なかぎり実施して実態をしる努力をした。

 始めNa.K.測定は福士襄君が担当し、また後には竹森幸一君が担当し、「濾紙法」(filter paper method)による測定を可能にする基礎研究について種々検討・報告することができた。

 私が昭和31年に衛生学の教授になった時、秋田県井川村の診療所に勤務していた三橋禎祥君が教室に入って勉強したいという申し出があった。弘前大学医学部も旧制の医学博士の学位審査権をもらえた時期であったので、昔の助手や研修員など教室で勉強したいといってきた時代であった。丁度伊藤君の助手の席が明いた時だったので三橋君には助手と考えたが、教室にもどる前に、井川村で研究資料を集めてはどうかと提案した。井川村は以前からまた後にも種々研究対象になった村であるが、秋田県内の水田単作地帯であった。一般に生活している人たちの日常の血圧は日々どのように変動しているかを知りたいこともあったし、もう一つ「りんご」摂取がどう血圧に影響するかの検討、とくに血圧との関係、尿中へのNa.Kの排泄状況を知りたいと考えた。

 この研究調査の結果は後に三橋君の学位論文(弘前医学,12,50,1960.)になり、またそのときの結果については私の「りんごと健康」の本の中の「りんごを食べて血圧を下げた実験」の項で述べた。

 実験計画を立てた。りんごを食べてもらう人と食べない人を含めて実際には21戸38名の中年男女の農民が選ばれた。昭和32年3月13日から4月6日までの22日間観察した。毎日同じ時間に各戸訪問し、血圧を測定し、1日ごとに溜めた尿を集めてくる。始めの1週間は両方とも同じように観察するだけの対照期間、それがすむと10日間一方だけりんごを食べる。そのあとの1週間また観察するという計画である。りんご(国光)は弘前から貨車で運んだ。三橋君の真面目な性格によるのであろう。このような苦労のある研究がよくできたと今思う。

 実験計画は当時の最新の考え方によるものであった。対照をおくこと、また時系列の差の検討、それも対応のある場合の検討をした。ただ学会で発表したとき大学を出たてのA君が質問した「プラセボ」は与えることは出来なかったが。

 三橋君が膨大な第一次資料をもって教室にでてきた。あとは計算であった。それも手回しのタイガ−の計算機であった。今なら電子計算機で簡単にできるだろうけれど当時は何ヶ月もかかった。三橋君は「これで何が解るのでしょうか」とつぶやいていた記憶があるが、計算の結果がでたときは嬉しかった。Na,Kを測定した福士君と三名連名で医学と生物学(51,103,1959.)へ速報した。後日MeneelyらがNutrition Review(34,225,1975.)にSodium and Potassiumを書いたとき、メネリ−らが行ったラットの慢性食塩中毒の害をカリウムを与えることによって防ぐことができたという動物実験の結果が人にも同様に当てはまることを示唆する証拠であると書いた。また短期間であったがこの研究を疫学研究のうちの介入研究「intervention study」であると紹介した方もいた。

 時代が変わったので今後同じような野外調査ができるとは思えないが、40年前よくやれたと思う。(991028apple3)

(弘前市医師会報,268,72−74,平成11.12.15.)

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