ケツアツ

 

 昭和30年のはじめの頃、秋田県の人口約五千の農村、今は西目町になっている農村で、弘前大医学部の学生諸君と一緒に村の小学校の校長住宅などに寝泊まりして、中学生から老人までの全住民の血圧を測って歩いたことがあった。

西目村にて(昭和36年7月)

 村の結核対策は近くに疎開されていた岡治道先生らの努力のおかげで県下一進んでいたが、「健康」をテ―マに当選した若い村長さんが今度は「脳卒中対策」というわけで、丁度研究を始めたばかりであったわれわれが村の健康対策のお手伝いをすることになった。

 血圧などは生まれてこのかた測られたこともない人たちの血圧が初めて明らかになった。

 五年は続けなければといっていたのが、二十年近くわれわれは観察をつづけることができた。

 われわれは「高血圧の疫学的研究」を展開し多くのことを学んだ。そして成果は学会や研究論文として発表できた。夏冬十日間個人ごとの話し合いとは別の反省会のたびごとに測定結果と同時にその時その時の新らしい「脳卒中や高血圧の予防」についての考え方を村人に話す機会をもった。

 村人の「疾病構造」はどんどん変わっていった。

 脳卒中・高血圧対策が中心であったが、目標であった四十・五十の働き盛りの循環器系疾患による死亡は少なくなり、高年齢層の死亡になっていった。

 とくに対策はとらなかったのだが村での乳児死亡がほとんどなくなった。その反面癌死亡がめだってきた。

 村は「保健文化賞」をもらい、記念に「検診車」を購入し、村中を走っていた。

 村の運動会で「ケツアツ」ゲ―ムをやっていた。椅子の上にゴム風船を置いてそれを走っていってお尻で早く割るというゲ―ムであった。

 村のクリ―ニング屋さんにワイシャツを出したら、赤い糸で「ケツアツ」とぬいつけてあった。

 ギブ・アンド・テイクの調査研究であった。

            (日本医事新報,3874,20,平成10.7.25.)     もどる