コンピュ−タ−に捕まった

 

 今回の話題は先の「窓を開ければ アイコンが見えるよ」(弘前市医師会報,247)の続編である。

 「The computer has cought up with us」という便りのメモが出てきた。日付は 1982年3月であった。

 私の属している「ISFC:International Societyand Federation on Cardiology」の Section の一つである「Council on Epidemiology and Prevention」の年会費の納入について、「おまえの名前の下にある数字は 会費の納入のすんだ有効な年数で それが過ぎていたら 会費を納めるように」とのメッセ−ジであった。

 「ああ コンピュ−タ− がここまできたか」という感じをもったので メモに残していたのであろうと今思う。1982年というと昭和57年で、NHKが「マイコン入門講座」を放映し始めた時で、15年以上前の話である。

 

 昭和60年には当時図書館医学部分館長であったので東京で開かれた国際図書館会議に参加する機会があった。その会議の最大の話題は今後図書館はコンピュ−タ−との関係でどうなるのかということであった。

 日本医事新報に「これからどうなるのであろうか、トップレス・ボトムレスについでペ−パ−レスの時代はくるのであろうか」と書いた。

 停年前の分館長としての仕事は今後の弘前大学の図書館のコンピュ−タ−化をどうするかということであったが、予算もとれずどうなることかと思っていたが、どうにか今日の趨勢においついてきたようだ。まだそれを利用している人は多いとはいえないようだが。

 大学へ行けば、「academic」なラインを使って今のところ「だだ」で利用できるのは良いのだが、一般にはそうはいかないところが問題である。

 図書についていえば税金による国立国会図書館(www.ndl.go.jp)など一般に公開されているが、これによって商売しようという「商業」がからんでくると、目下「宣伝・広告」だらけの感がするが、ほんとうに必要な「情報はただか」といった問題とからんで、これからどうなるかといったところである。

 

 音楽をやっている次男の修(オサム)が兄弟にまけずとコンピュ−タ−にものめりこんで、ホ−ムペ−ジを開いた。日経WWWのイエロ−ペ−ジにのったと喜んでいたが、(www.city.fujisawa.kanagawa.jp/~maestro)で音楽のことも、ファミリ−のことも、私のプロフィ−ルも、その他いろいろと入れてくれていることを紹介しておこう。

 また最近の(www.goo.ne.jp)もなかなかのすぐれもので、「佐々木直亮」をいれて検索したら、同姓同名はないらしく、「りんごと健康」など「22」項目でてきた。「食塩」「高血圧」からも出てきた。大体リンクの出所は見当はつくが、まさに「コンピュ−タ−」に捕まったといえよう。

 弘前市医師会報も原稿をフロピイ−に入れて投稿するときわめて早く間違いのない時代になったことを実感しているが、フロピイ−にいれたとたん、「ポンポン」とキイ−をたたけばもう世界中に伝わってしまう時代になったこともたしかである。

 もうすでにご覧になって戴いた方があるかもしれないが、去る5月16日から2泊3日の不二会(慶應義塾大学医学部昭和18年卒同級会)の「弘前旅行めい言集」を修に「E-mail」で送ったらすぐペ−ジに入れてくれた。そんな時代なのである。

 この原稿をフロピイ−に入れている今朝(6月10日)のニュ−スを聞いていたら、「クロ−ンの子供提供」とインタ−ネット上でPRしているという。 ワシントン7日付けには「人間複製は法で禁止 人細胞にクロ−ン実験の基礎研究を容認」とあったが、人の考えることは「いたちごっこ」である。流行作家がこれからは「インタ−ネット」だと云っていたので、ちょっとのぞいてみたら「18未満おことわり、会員制、会費はクレヂットカ−ドの番号で、その前に無料のコ−ナ−でごらん下さい」と日本語と英語で書いていた。こうなるともう「ポルノ」「adult」である。「宗教」「性」が当分氾濫することだろう。その中で「健全な」健康情報はどこへゆくのか。(9-6-10)

             (弘前市医師会報,254,54-55,平成9.8.15.) 

  

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