疫学事始

 

 「疫学事始」は丁度1年前の平成8年7月、弘前での第37回社会医学研究会総会のときの演題名である。

 亡くなられた「社会医学のはるかな道」の曽田長宗先生や「死児をして叫ばしめ」た丸山博先生らが熱心に推進された社会医学研究会が全国をめぐって弘前にもきて仁平將君の世話で開催されたのだが、特別講演の機会が与えられた。

 杉田玄白が「蘭學事始」を書いた83歳にはまだとどかないが、自分のことを「私はエピデミオロジスト」と考えたこともあったので、こんな題でまとめてみたいと思ったのである。

 「エピデミオロジスト」とは今の日本語では「疫学者」ということになろうか。

 先日亡くなられた高橋英次先生らと昭和29年から「東北地方住民の脳卒中乃至高血圧の予防の研究」を開始し、学会へ報告したのが目にとまったのか、昭和32年に「高齢医学」が創刊されたとき、その研究を書くようにいわれ、このとき始めて、ごく自然に、あまり深く考えもせず「脳卒中乃至高血圧の疫学的研究」という題をつけている。

 昨年の「O-157」の事件についてかの「カイワレ大臣」が報告したとき、テレビでみていたら、そばに控えさせた学者は「疫学者」といわれる方々で、「95パ−セントはたしか」と発言されていた。

 「カイワレで細菌学者に陽があたり」と思っておりましたが「疫学者」が正面に出てきました。ご同慶の至りですが、世の中に理解されるまでには時間がかかるでしょう、とはがきを書いたら、「大臣の意向もあって、急に専門家を尊重する(or責任をおしつける)ようになり、その結果どうしてもということでああいうことになりました」と返事をいただいた。

 雑誌公衆衛生の「21世紀へのメッセ−ジ」として「疫学による予防へ」を書いたが、医学も「発想の転換」が必要の時代を迎えたと「健康科学」の勉強をしていて思のだが。

              (日本医事新報,3822,29,平成9.7.26.)    

  (目次へもどる