言葉、文字、そして意味

 

 今年新春「炉辺閑話」の題は、原稿の締め切り日にあたる10月31日に青森は黒石で開催されることになっている第29回全国保健衛生大会の特別講演「津軽に学ぶ−りんごと健康−」の中で話す「第1学章」「楽でなく学」のテ−マである。

 今青森で最大の話題といえば「三内丸山の遺跡」であると思う。

 なにしろ5500年も以前に、500人位の人が一か所に住んでいて、それも1500年もつづいたのではないかというのだから。

 「サンナイ」は「前にひらけた沢」という「アイヌ語」であると毎日新聞にあったが、アイヌ語地名を研究している山田秀三氏によると北海道と秋田と青森にある地名で「川ではあるが水がどっとでる特別な川」ではないかともあった。

 京都とか東京からみれば「みちのおくのくに」「蝦夷(エミシ)のすむ国」といわれていたが、それなりの「文化人」が住んでいたいう「物証」がでてきた。

 直径1メ−トルもある「クリの木」の大木が六本、一定の間隔でたてられていた。それもすこし斜めに、という「科学的」証拠があるという。

 とても一人ではできない作業であれば「言葉」があったにちがいない。それもそれなりに「意味」のある「言葉」があったに違いない。しかし「文字」らしいものはまだでてきていない。

 「つがる」は一番古くからいわれていた地名のようで、日本書紀に「津刈」として登場し、その後「都加留」「津可呂」「東日流」が用いられ、今は「津軽」に落ちついた。

 弘前では「ねぷた」青森では「ねぶた」とよくいわれるが、淡谷のり子さんがいっていたようにその中間の発音であるという。

 「中風」「中気」は「中国医学」の影響と思われ、そこに「西洋医学」とともに「脳溢血」がはいってきた。

 しかし土地の人は「あだった」といい、それに「どたっと」「びしっと」「どんと」といい「かすった」といっていた。

 はじめ英文で「Atari」と紹介したが、最近は「Adari」と書いている。大変発音のむずかしい「つがる弁」ではある。

             (日本医事新報,3793, 45, 平成9.1.4.)   

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