窓を開ければ

   

 「窓を開ければ 港が見えるよメリケン波止場の 灯が見える・・・」と淡谷のり子さんが歌ったのは昭和十二年だが、それから六十年たった今日この頃は「窓(ウインドウズ95)を開ければ アイコンが見えるよ」である。

 三十年前アメリカのミネソタ大学にいた頃はようやく電子計算機が一般化していたが、まだ大型で、プログラミングもアルバイトの主婦にやらせていた。お正月に「A Happy New Year」を大きくタイプアウトさせてよろこんでいた時代だった。

 「Basic」言語がでてき、NHKが「マイコン入門」を放映し始めた昭和五十七年、これなら今までなかなかやれそうもなかった計算もできそうな気がして、みようみまねで勉強しはじめた。

 だからNECから6000・8000の次に98シリ−ズを出したとき、わが家にも購入し、なにやかや百万円もかかったが、定年までの数年よく働いてくれた。そして「りんごと健康」のまとめのような論文(日衛誌45,954,1990)を書くことができた。

 そのコンピュ−タが突然「立たなく」なった。それが新らしい器械購入の機会ともなった。

 一世代から六世代へ一足飛びで「今浦島」であるが、そこで「窓を開ければ・・」となった次第である。

 以前は自分でしたいことを考えてプログラムをつくったものだが、今は出来合のを使うだけである。 コンピュ−タの言語を知らなくても「絵」をみて「マウス」で「クリック」すればすべてはこんでくれる。その反面プログラム作成の「思想」を読みとろうとすれば頭がいたい。

 コンピュ−タは「戦争」によって進歩したと思うが、この十年間は「ゲ−ム」と「ビジネス」に向っての戦争であった。「Basic」から「MS-DOS」へ、マイクロソフト社に支配され、ビル・ゲ−ツを世界一の金持ちにしたが、健康情報処理には一向金は動かない。われわれが考案した血圧情報処理の「HMBS方式」に買い手はない。

 計算もワ−プロもゲ−ムも通信もインタ−ネットも自宅で出来る時代になったのはよいのだが、これからはどうなるのであろうか。トップレス・ボトムレスについでペ−パ−レスの時代は来るのであろうか。 

              (日本医事新報,3773,59,平成8.7.27.)  

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