日本医事新報「ひと」欄再録

 

 辻達彦先生からの「余生語録」(37号NOV.2002)を戴いたら、「三十年前の私を反省」として日本医事新報「ひと」欄再録(2565,昭48)があった。

それを拝見していて、丁度同じ頃同誌同欄に私も紹介されていたことを思い出した。教室日誌によると昭49.10.24.こあくつ祥司記者が取材にきている。よくまとめたと感心する。

 ここに再録し私の反省にしたい。

 「 日本医事新報,2637,111,昭49.11.9.)ひと:ささきなおすけ佐々木直亮氏」

 この一日、高血圧の疫学的研究で第二十六回「毎日学術奨励金」を受けたばかり。弘前大学・衛生学の佐々木教授である。高血圧の予防に早くから塩分のとりすぎを警告していた氏にとっては、何にもましてうれしい受賞であったにちがいない。

 佐々木さんが弘前大学に赴任したのは昭和二十九年、いまから丁度二十年前だ。当時、青森県地方には「シビ・ガッチャキ」と呼ばれる病気が蔓延していたが、もう一つ、この地方には「アタリ」と特有に表現される病気があった。脳卒中である。

 だが、なぜ秋田や青森地方に脳卒中が多いのか。特有な表現があることは、いかにそれが多いのかを物語っている。「あたった」「かすった」といういい方を聞くにつけて、佐々木さんの眼は住民の生活に向けられた。これが佐々木さんの研究の出発であったという。

 おもしろいのは、佐々木さんがその研究をやり始めたころ、食塩のことはむしろ見捨てられていたと言ってよく、佐々木さんはそれに挑戦するような形で始めたということだ。いまではもう高血圧と食塩との関係は素人にも常識のようになっているが、出発時にはそれが実情であったらしい。

 佐々木さんはこれから、高血圧や脳卒中に食塩の過剰摂取が影響していることを国際的なレベルで解明することを計画している。先達て客観・自動化の血圧計を完成させたのもそのためだ。それと個人差。同じ食形態でどうして差ができるのか。それも調べたいという。

 佐々木さんは大正十年一月、東京・港区三田の生まれ、幼稚舎から慶應という生粋の慶應育ちだ。医学部は昭和十八年九月、戦争のさなかに繰上げ卒業したが、この年の名簿をみると、大阪市立大の大和田教授、新潟の須永教授をはじめ、日医常任理事の松浦鉄也さん、同事務局長の山形操六さんなど多彩な顔ぶれだ。

 卒業すると佐々木さんはすぐ見習軍医になり、終戦は大尉で迎えたが、その後も復員収容部や厚生省の引揚援護局の仕事をしていたため、母校に戻ったのは昭和二十一年秋、その後講師をへて二十九年に助教授として弘前大に赴任、二年後の昭和三十一年、三十五歳で教授に就任した。

 佐々木さんは精悍な感じのする活動的なタイプだ。大学ではヨットとスキ−の部長を兼任するスポ−ツマンだし、飛びあるくのが好きらしい。先年、アメリカのミネソタ大学に客員教授として留学したときも、研究の合い間にはアメリカ中をバス旅行、イタリヤに行ったときもそうしたというほどだ。おかげか、外国の学会などにも顔が広く、それがまた氏の研究を豊かにしているようだ。

 資源調査会の専門委員をしていた頃、食生活改善へ「冷蔵」食品を提唱したが、「もすこしするとこの影響が現れるはず」とどこまでも研究熱心な人である。 

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