Mezzo-Cotralto
(1969 - 2002)
鳴海 真希子


プロフィール
1969年青森市に生まれる。青森高等学校では吹奏楽部でフルートを演奏した。1987年青森高等学校卒業。同年岩手大学教育学部に入学。バッハの指揮者・声楽家としても著名な佐々木正利氏に師事、はじめて本格的な声楽のレッスンを受ける。また岩手大学合唱団の学生指揮者もつとめた。1991年岩手大学教育学部を卒業。同年東京芸術大学音楽学部に入学。東京芸術大学大学院在学中の1997年に一時休学をして、ロータリー財団奨学生としてジュリアード音楽院で学び、さらにジュリアード オペラセンターで研修を積む。1999年3月東京芸術大学大学院の修士課程を修了。声楽を佐々木正利、伊原直子、磯貝静江、ベバリー・ジョンソンの各氏に師事。東京芸術大学在学中はバッハ研究会に所属。1994年学内オーデションに合格して、第44回朝日新聞社主催《芸大メサイア》に出演。その後、芸大定期演奏会バッハ《ロ短調ミサ曲》、メンデルスゾーン《エリア》の独唱を務める。また数多くの市民合唱団、大学合唱団と、バッハ《マタイ受難曲》《ヨハネ受難曲》、ヘンデル《ベルシャザール》《メサイヤ》、ヴェルディ、モーツァルト《レクイエム》等の宗教曲を共演している。1997年渡米後、ジュリアード音楽院でのオペラ公演、コンサートなどに出演する一方、1997年ニューヨーク・カーネギーホールにてベートーヴェン《第九交響曲》の独唱を、またアジア人の声を祝うガラコンサート《A Celebration of Asian Voicesで》は、メトロポリタン歌劇場オーケストラと共演。 1998年夏コロラド州アスペン音楽祭では、ヴェルディ《ファルスタッフ》のクイックリー婦人役でオペラデビューを果たし、デンバーポスト紙は『瑞瑞しく、豊かな声』と、高く評価した。また1999年夏のアスペン音楽祭では、同音楽祭50周年記念委嘱作品ベルナルド ランズ作曲歌劇《Belladonna》(世界初演)にデイヴィッド ヅィンマンの指揮のもとリーディング ロール(leading role)を、またジェームス コンロン指揮のワーグナー《神々の黄昏》(演奏会形式)にフロースヒルデで出演した。1999年2月にはジュリアードオペラセンター主催によるブリテン《ルクリーシャの恥辱》でタイトルロールを演じた。1999年5月ジュリアード声楽コンチェルトコンクールで優勝し、1999年9月にマーラー《リュッケルトの詩による歌曲》をジュリアードオーケストラと共演し好評を博した。メトロポリタン歌劇場主催の全米コンクール準決勝入賞。1999年リチア・アルバネーゼ・プッチーニ財団国際声楽コンクール第二位受賞。1997年ハンス・ガボア国際ベルヴェデーレコンクール日本代表。1996年NHK洋楽オーディション合格。1993年友愛ドイツ歌曲コンクール奨励賞受賞。1999年12月東京音楽の友ホールで日本での初リサイタルを開催。2000年夏のタングルウッド音楽祭では、全米オーディションに見事合格、小澤征爾の指揮でヴェルディ《ファルスタッフ》のクイックリー夫人役に出演。ボストン・グローブ紙は『バリエーションに富んだ豊かな声』とその演奏を高く評価した。2000年9月にはシュトゥトガルト歌劇場のモンテヴェルディ《ポッペリアの戴冠》にアルナルタで出演。2000年5月には、ジェームズ・コロン指揮シンシナティ交響楽団とシンシナティ五月祭において、マーラーの交響曲第8番のアルト独唱をつとめる。2001年2月東京フィルハーモニー交響楽団とオペラコンチェルタンテシリーズ、ストラヴィンスキー《夜鳴きうぐいす》(指揮:沼尻竜典)に出演するなど活動の場をひろげる。2001年6月第2回目の国内リサイタルを津田ホールで開催。2001年8月、既に常連となったアスペン音楽祭でヴェルディ《オテロ》のエミリヤ役に出演中、足に激痛を感じ、公演終了後緊急入院した。診断の結果は軟部肉腫で、ニューヨークで先進的な治療を受ける。2002年12月ジュリアードオーケストラとマーラーの交響曲第2番「復活」を共演。2002年1月マリリン・ホーンの公開レッスン、さらに3月22日ニューヨークのオリンホールでブラームス《アルトのための2つの歌》op.91「満たされた憧れ」「聖なる子守歌」を歌い帰国。2002年4月30日神奈川県相模原市北里病院で死去。2002年10月には、世界的な中国人の作曲家・譚盾(タン・ドゥン)のオペラ《TEA》の世界初演に出演することが決まっていた。鳴海真希子の早すぎる死は、特にアメリカで大きな反響を呼んだ。ジュリアードでの追悼式の他、2002年夏のアスペン音楽祭の公式プログラムには、鳴海真希子の追悼文が掲載された。2006年5月、ジュリアードでは鳴海真希子を記念する《鳴海真希子賞》が制定された。1997年から2年間、東奥日報に《ジュリアードの風景》として、毎月アメリカの音楽生活が寄稿され、現在もインターネットで閲覧が可能。またYouTubeでも鳴海真希子の声が聴ける。

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