
青森市出身。青森高校卒業後、岩手大学教育学部、東京芸術大学音楽学部を卒業。東京芸術大学大学院を修了し、97年よりロータリー財団奨学生としてジュリアード音楽院で学び、さらにジュリアード オペラセンターで研修を積んだ。 声楽を佐々木正利、伊原直子、磯貝静江、ベバリー・ジョンソンの各氏に師事。 94年第44回朝日新聞社主催“芸大メサイア”に出演以来、芸大定期演奏会バッハ“ロ短調ミサ曲”、メンデルスゾーン”エリア”にて独唱を務める。また数多くの市民合唱団、大学合唱団とバッハ“マタイ”“ヨハネ”両受難曲、ヘンデル“ベルシャザール”“メサイヤ”、ヴェルディ、モーツァルト“レクイエム”等の宗教曲を共演している。
97年渡米後、ジュリアード音楽院でのオペラ公演、コンサートなどに起用される一方、97年ニューヨーク カーネギーホールにてベートーヴェン“第九交響曲"の独唱を、またアジア人の声を祝うガラコンサート A Celebration of Asian Voicesではメトロポリタン歌劇場オーケストラと共演。 98年夏コロラド州アスペン音楽祭ではヴェルディ“ファルスタッフ”のクイックリー婦人役でオペラデビューを果たし、デンバーポスト紙は“瑞瑞しく、豊かな声”と高く評価した。 また99年夏のアスペン音楽祭では同音楽祭50周年記念委嘱作品ベルナルド ランズ作曲歌劇"Belladonna"(世界初演)にデイヴィッド ヅィンマンの指揮のもとリーディング ロール(leading role)を、またジェームス コンロン指揮のワーグナー“神神の黄昏"(演奏会形式)にフロースヒルデで出演した。99年2月にはジュリアードオペラセンター主催によるブリテン“ルクリーシャの恥辱”でタイトルロールを演じた。 99年5月ジュリアード声楽コンチェルトコンクールで優勝し、99年9月にマーラー“リュッケルトの詩による歌曲"をジュリアードオーケストラと共演し、好評を博した。メトロポリタン歌劇場主催の全米コンクール準決勝入賞。99年リチア・アルバネーゼ プッチーニ財団国際声楽コンクール第二位受賞。97年ハンス・ガボア国際ベルヴェデーレコンクール日本代表。96年NHK洋楽オーディション合格。93年友愛ドイツ歌曲コンクール奨励賞受賞。 99年12月東京音楽の友ホールで日本での初リサイタルを開催。2000年夏のタングルウッド音楽祭では、全米オーディションに見事合格、小澤征爾の指揮でヴェルディ“ファルスタッフ”のクイックリー夫人役に出演。ボストン・グローブ紙は「バリエーションに富んだ豊かな声」とその演奏を高く評価した。 2000年9月にはシュトゥトガルト歌劇場モンテヴェルディ「ポッペリアの戴冠」にアルナルタで出演。2000年5月にはジェームズ・コロン指揮シンシナティ交響楽団とシンシナティ五月祭において、マーラーの交響曲第8番のアルト独唱をつとめる。2001年2月東京フィルハーモニー交響楽団とオペラコンチェルタンテシリーズ、ストラヴィンスキー「夜鳴きうぐいす」(指揮:沼尻竜典)に出演するなど活動の場をひろげる。2001年6月第2回目の国内リサイタルを津田ホールで開催。2001年8月出演先のアスペンで発病。ニューヨークで先進的な医療を受ける。2002年12月ジュリアードオーケストラとマーラーの交響曲第2番「復活」を共演。
2002年3月帰国。2002年4月30日神奈川県相模原市北里病院で死去。
2002年10月には、世界的な中国人の作曲家・譚盾(タン・ドゥン)さんのオペラ「TEA」の世界初演に出演することが決まっていた。