あらかわバイロイト 《神々の黄昏》 2011年9月24日(土)公演 批評
岸 純信(オペラ研究家)
今回の《神々の黄昏》は、演奏者各位の熱意が文字通りに実り、大きな成果をもたらしていた。評者はこの音楽祭に初めて出席したが、開演前に案じていた歌手勢の声量についても、サンパール荒川大ホール(1120席)では問題なく響き渡り、不足ないものと思われた。
それでは順を追って評してゆきたい。本公演ではまず、佐藤美晴の演出に讃辞を呈してみたい。幕が上がった瞬間から、照明(望月太介)と舞台装置(松村あや)が織り成す「透明感ある和のテイスト」が一目瞭然であったので、その後の展開においても、衣裳デザイン(小山花絵)の和装アイテムの活用術(神性を有するキャラクターのみ。人間は洋装)をすんなりと受け入れることが出来た。そして、黒と紅のコントラストがもたらす漆塗りのごとき質感や、背景に現れる巨大な花樹のオブジェを代表格に、この美意識がほぼ全編で貫かれたことを改めて評価しておきたいと思う。また、ヘアメイク(吉場一美・境千恵子)の充実ぶりも今回のステージならではの美質。特にジークフリートの若々しさの造型、グンターの品性の確立、ブリュンヒルデとグートルーネの個性の対比にそれぞれ貢献していたと思う。
ただし、演出面において、次の2点には再考を求めておきたい。まずは、火の神ローゲを熱演したダンサー(岩渕貞太)の「身なり」。率直なところ、前衛舞踏のイメージが強すぎる扮装が上記の和の質感から大きく外れる結果をもたらし、その視覚的な隔絶感の理由が評者には見当たらずじまいであった。そして、もう一つが、〈ジークフリートのラインへの旅〉において、現代風の装いをした助演者(合唱団)が行き過ぎる際に、一名が手にしていた「デッキブラシ」。その薄っぺらい緑色の目立ち方は、このステージングの美学を全壊させんばかりの衝撃度であった。
次に佐々木修の指揮について。全体的にTIAAフィルハーモニー管弦楽団の演奏能力(特にヴァイオリンが優美。序幕の終盤で金管が乱れた点は惜しい)を最大限まで引き出し、全編を流れよく進めていた。中でも、第2幕の復讐の三重唱及び終幕の〈ブリュンヒルデの告別〉における緊張感の保持とドラマティックな盛り上げ方を高く評価したいと思う。なお、序幕及び第一幕の中盤ぐらいまではオーケストラの音量が大きすぎる感を受けたが、その後はバランスが改善されていた。
続いて歌手陣について。今回はまず、福田祥子(ブリュンヒルデ)の総合的な表現力に惜しみない讃辞をおくりたい。強靭な高音域を中心に清新なブリュンヒルデ像を確立させ、長丁場のステージでも喉のパワーが衰えることはなく、非常に引き締まったフレージングを聴かせていた。中でも音色の明るさと最高音域の迫力(序幕の3回の〈Heil!〉における、2点B♭及び3点Cの著しい音圧を頂点に)や弱声で中音域を歌う際に生じる独特の翳りなど、彼女ならではの美質を堪能できた点は、今回の大きな喜びの一つであった。なお、今後は低音域の声量のさらなるアップを望みたい。また、直立不動で歌う際、緊張もあるとは思うが、身体がやや縮こまって硬直した感に見えるのは惜しい。恵まれた長身の持ち主でもあり、女丈夫の役柄でもあっただけに、自らの「見せ方」をより研究して貰えればと思われた。
次に池本和憲(ジークフリート)について。まずは、容貌の若々しさと歌いまわしにこもる熱気で、青年像の造型に成功していた点を讃えたい。終幕では喉に疲労感も窺えたが、その点を踏まえてもなお、この大役で示した実力のほどは評価されるべきと思う。また、もともとイタリアもののドラマティックな役柄を歌うことの多かった彼が、この役柄で確かな新境地を拓いたことは非常に頼もしく思われた。
続いて大井哲也(グンター)では、肉厚でかつ明るめの響きがことに魅力的であり、音楽的な完成度も高い上に、人の良さを持つ若主人というキャラクターも演技でうまく表出し得た点に感銘を受けた。所作の一つ一つが堂々としている点もキャスト中随一であったと思う。また、大塚博章(ハーゲン)では対照的に、体躯の良さを活かしてあまり動き回ることなく、内にこもる悪心の存在を徐々に表出させていった点を讃えたい。濃色のバスの美声で歌唱もほぼ安定しており、ギービヒ家の郎党を呼びつける辺りのソロなど、迫力に満ちて聴き応えあった。ただ一つ、中高音域を中心とするフレーズにおいて、たまに音程のずれが見られる点だけは改善してもらいたい。
そして、薮田瑞穂(グートルーネ)では、登場シーンにおいて、将来に希望を持つ女性の姿が声にも演技にもはっきりと現れた点を賞賛したい。このほか、終幕でのソロの場面では歌も力強く纏め上げ、ドラマの進展に寄与していたと思う。また、田辺いづみ(ヴァルトラウテ)も、声は細めの響きながら、総合的な演唱力で人物の焦燥感を強く表現しており、物語を膨らませるキャラクターとしての存在性を確かに打ち立てていた。
このほか、飯田裕之(アルベリッヒ)では、神でも人間でもない異形の者の「アクの強さ」を所作と歌声の両面で引き出した点に注目。ただし、一音を長く伸ばすパッセージにおいて音程が保てない点は是非とも克服してもらいたい。折角の豊かな声音がもったいない。また、飯島由利江、生沼美香、松井亜樹(3人のノルン)が歌と演技で揃って示した「荘重さ」、佐久間響子(ヴォークリンデ)栗原千英(ヴェルグンデ)田村由貴絵(フロスヒルデ)の活気のある歌いぶりも目立っていたと思う。
また、合唱団の熱演も、本公演を支えた太い柱の一つである。演技面で表現法が揃っていた点と、第2幕におけるMannen(家臣団)の声の勢い、Frauen(女性たち)が短いフレーズに盛り込んだ格別の緊張感をそれぞれ特筆しておきたい。
あらかわバイロイト『神々の黄昏』公演批評(2011年9月24日)
寺西 肇(音楽ジャーナリスト)
鮮烈で、瑞々しい。「あらかわバイロイト」の舞台に触れる度に呼び起こされる感覚。これはおそらく、ワーグナーの大作が求めている"爛熟"というイメージとは相反することだろう。しかし、その理想へと向かってゆくプロセス、ほとばしるエネルギーの、何と爽やかで魅力的なことか。そして何より、ここには大きな可能性が存在する。2009年に「パルシファル」でスタートし、昨年は「ワルキューレ」を上演。3回目となる今年は、9月23日から3日間にわたり、サンパール荒川大ホールで「ニーベルングの指輪」の最終作「神々の黄昏」が上演された。これは1991年の東京二期会の公演以来、日本人キャストのみによる2回目の上演でもある。
3月の東日本大震災の発生により、一時は開催自体も危ぶまれたという今回のステージ。公演監督の田辺とおるは「公演できるだけで幸せ。それを肝に銘じて、皆様にオペラをお届けしたい」と特別な思いを明かしている。舞台演出は共通ながらも、それぞれに個性的なトリプル・キャストで上演された全3日間。ドイツから来演したクリスティアン・ハンマーが振る2公演に挟まれる形となった、佐々木修指揮による第2日のステージも、独創的なワーグナー像を形作っていた。
第一に特筆すべきは、前回の「ワルキューレ」でも同じブリュンヒルデを演じた福田祥子の成長ぶりだろう。ステージに登場するだけで観客の目を引く恵まれた体躯。そして、ひとたび歌声を発するや、圧倒的な迫力で、ステージ全体が強烈な陽光に包まれるかのよう。「ワルキューレ」に臨むまではまったくしゃべれなかったと言うドイツ語も格段の進歩を見せた。まだ若く、無理が利くだけに力任せに歌う傾向は否めないものの、彼女が"引き算"をして繊細な表現を身につける時が楽しみ。かつて、日本オペラ発展に寄与した名匠マンフレート・グルリットをして「超ヨーロッパ級」と言わしめたドラマティック・ソプラノ笹田和子(1921〜2007)以来の、世界に通用する和製ブリュンヒルデの誕生となるかもしれない。
ハーゲンを演じた大塚博章も、聴衆に強い印象を残した。美声はもちろんのこと、深い洞察に基づいた人物描写で、憎らしくも魅力的で美しい悪役像を確立。特にジークフリートに対しては、どこか哀しみをたたえながら対峙している感覚が、ステージ全体に深みを与えていた。ハーゲンに引きずられるかのように加担するグンターの大井哲也は、その良心の呵責を反映するかのように、控えめかつ丁寧な振る舞いを心がけていたことも大きな効果を挙げていた。決して自分ばかりが前へ出ることだけでなく、ステージ全体を考えていたのであろう、まさにプロの舞台人と言えよう。
また、池本和憲はジークフリートを溌剌とした青年として表現。とにかくストレートな美声が印象に残った。その一方、彼は力で押すよりも繊細な演技で勝負するタイプなのだろう。それが、成長し切れない"永遠の子供"としてのジークフリート像を際立たせ、どこか母性、悪く言えば支配的な雰囲気を醸し出す福田のブリュンヒルデと好対照をなしていた。ただ、ラインへの旅立ちのシーンだけは、もう少し力強く演じても良かったのでは。好対照と言えば、薮田瑞穂のグートルーネも、少々暑苦しい(失礼!) ブリュンヒルデを思えば、実にコケティッシュで魅力的だった。そのいじらしさたるや、男としては忘れ薬がなくても、フラフラついてゆきたい衝動にかられるほど。彼女は歌い出しがもっと安定すると、さらに魅力が増すと思うのだが。
前回と同様、今回も全キャストがそれぞれ、自分の役に並々ならぬ思い入れを抱きながらの熱演を聴かせた。アルベリッヒの飯田裕之は僅かな出番ながら、聴衆に強烈な印象を残した。田辺いづみはヴァルトラウテを戦士ワルキューレとしてではなく、あくまで姉に対峙する妹として熱演。冒頭から舞台回しとして重要な役目を担うノルン3姉妹(飯島由利江、生沼美香、松井亜樹)はそれぞれ個性的で、存在感を示した。これに対して、ラインの3姉妹(佐久間響子、栗原千英、田村由貴絵)は連携を重視し、美しいアンサンブルを聴かせた。ぴちぴち跳ねまわる若い彼女たちは、なかなかに魅力的でもあった。
キャストも若ければ、演出も若い。佐藤美晴は慶應大学・同大学院で音楽学を修め、ウィーン大学で演劇学の研鑽を積んだ、いま注目の俊英だ。この「神々の黄昏」は旧来の神話的スペクタクルと、ペーター・コンクヴィチュニーに代表されるような、昨今流行の室内劇的な演出のちょうど中間くらいの空間作り。舞台の正面に大樹を置き、ライティングによって様々な表情を与えた。場面によって、木は黒い森になり、新緑に輝き、そして枯れ果ててゆく。実は、震災に伴う節電要請により、ホールの使用電力が限られたため、本来の演出プランを縮小せざるを得なかったと聞く。しかし、これがマイナスどころか、むしろプラスに働いたと思う。「陰翳礼讃」ではないが、多くの明るいライトや仕掛けを使うことが、必ずしも良いステージに繋がるとは限らない。
小山花絵の手になる、和の要素を採り入れた衣装も好印象。ドイツのコスチューム・プレイを真似るのではなく、無国籍な雰囲気を持たせることで、演じ手と衣装の関係に無理が生じない。運命の綱を象徴するかのように、時折り登場するダンサー(岩渕貞太)も効果的。特にラストシーンは、不思議な余韻を聴衆に残した。ただひとつ、これだけ象徴的に徹していたにもかかわらず、ライン川をシートで具象化してしまったのには違和感が残った。最後の氾濫のシーンにしても、余計な感じが拭えない。果たして、あれほど具体的にビジュアルの形で聴衆に説明する必要があったろうか。
佐々木のタクトは相変わらず丁寧かつ清潔で、よく整理されている。ステージ上の若い歌手たちへの的確なタイミング出しも、彼らにとって大きな助けとなったことだろう。おどろおどろしいワーグナーを望まれる向きには不満かもしれないが、前回の「ワルキューレ」と同様、佐々木の音楽創りはどこかモーツァルト的で、新しい感覚のワーグナー像を提示していたように思う。フリー奏者たちが再び結集したTIAAフィルハーモニー管弦楽団も、溌剌とした佐々木のタクトに良く反応。ジークフリートの角笛など大事なライトモティーフをきっちり決められない難点はさておき、ファースト・ヴァイオリンのパート譜にして約90ページ、5時間近い長丁場に集中力を切らすことがなかった若い奏者たちはやはり称賛に値しよう。
着実に回を重ねてきた「あらかわバイロイト」。自治体や大手企業などのバックアップは相変わらずほとんどなく、出演者たちの手弁当に近い形での運営が続いている。しかし、福田をはじめとして、この「あらかわバイロイト」の出演をきっかけに新たな素質が見出され、いずれは世界の舞台へと羽ばたいてゆくことだろう。また、今年からの小さな変化として、ホール周辺の飲食店と連携し、あらかじめ予約を取り、休憩時間にスムーズに食事ができる試みがスタートした。ただオペラを上演するだけでなく、周辺の店主たちも呼応し、新たな賑わいを生む。これもまた、地元に対して文化が担う重要な役割ではなかろうか。"青い果実"である「あらかわバイロイト」が、いつ円熟の時を迎えるのか。今後もじっくり見守ってゆきたい。