大相撲の力士「黒海 太」(平成15年五月場所現在十両西10枚目)本名レヴァン・ツァグリアさんは、1981年3月10日グルジア国スフミ市に生まれました。スフミはそのしこ名に由来する、黒海に面した温暖な保養地として旧ソ連時代から有名です。黒海さんのお父さん(Merab)は旧ソ連のアマチュアレスリングの王者。お母さんはグルジア中部の山間地帯ラチャ地方の出身です。
スフミ市を中心とするアブハジア地方は古来グルジア人とは異なる言葉を話すアブハズ人が住んでいましたが、ソ連時代にはグルジア内の自治共和国であり、アブハジ人はその当時既に全人口の20%以下でした。
グルジアは旧ソ連邦から1991年4月9日独立宣言をしますが、1992年7月にロシアに後押しされたアブハジアとグルジアとの間に内戦が勃発しました。この内戦で数千人が亡くなります。1993年秋には、黒海さんのご家族を含む35万人のグルジア人が故郷を失い国内難民としてこのアブハジアから脱出しました。
黒海さんはこの時12歳でしたが、危険が迫っていると判断したお父さんの指示で、6歳年下の弟さん(Giorgi)と一緒に、母方の祖父母が住んでいた首都トビリシに飛行機で脱出したそうです。最後まで自分の土地を守っていたご両親は、スフミの陥落の直前、4000メートル級のカフカス山脈がそびえる早冬のスワネチ地方を徒歩で脱出しました。この脱出で数多くの人が命を落としました。黒海さんもご両親と1週間以上音信が途絶え、大変心配したそうです。
このアブハジア紛争は1993年国連の調停で一応停戦状態を保っていますが、黒海ファミリーをはじめとして、故郷を追われた人々は現在もなお帰国のめどが立っていません。トビリシでは現在でもホテルイヴェリアなどの大ホテルがこの国内難民に占拠されており、グルジアの経済発展の大きな足かせとなっています。紛争の構図としては、グルジアの北東の国境がチェチェンに接しており、ロシアはチェチェン人の独立を認めず、激しい内戦が行われています。またグルジアの北西の端がこのアブハジアであり、ロシアはこちら側ではアブハジ人の独立を助けるという名目で、この土地を自らの影響下に置き、結果的に多くのグルジア人が故郷を奪われることになりました。
1994年13歳になった黒海さんことレヴァン少年は、特待生としてグルジア・スポーツ・アカデミーに入学、レスリングを専攻します。ここで驚嘆すべきは、グルジアのレスリングをはじめとする格闘技の事情です。
難民が占拠する首都トビリシのホテルイベリア 世界遺産にも指定されているスワネチ地方のメスティア
例えば1992年のバルセロナオリンピック。柔道男子95キロ超級決勝で小川直也を敗ったハハレイシビリ、(KHAKHALEICHVILI,David)あるいは同じオリンピックのレスリング百キロ級で優勝したハベロフ(KHABELOV,Leri)はグルジア人です。つまり黒海さんはレスリングソ連王者のお父さんの血をもらい、格闘技家として世界で最高の環境で育ったのです。
1999年にはレスリング・フリースタイル130キロ級のヨーロッパ・ジュニア王者になりました。
そして運命はこの年意外な展開をむかえます。同年ドイツで開催された世界アマチュア相撲大会で黒海さんの先輩であるエバノゼ(Levan Ebanoidze)が優勝しました。これを見ていた日本の相撲関係者が、グルジアに有望な若者はいないか・・?ということになり、黒海さんことレヴァンさんに白羽の矢が立ちました。黒海さんのお父さんはレスリングでオリンピックを目指せ・・という意見だったそうですが、先のアブハジアの内戦から、混迷するグルジアを目の当たりに青年期を過ごした黒海さんは、迷わずプロの格闘技として、それまでたった1回しかまわしを締めたことのなかった大相撲入りを決意しました。